初めまして、KYMstudio運営局のAyumiです。
今回は4年間続けてきたソフトボール、大好きだった部活を辞めた理由についてお話しします。今回は決して何かアドバイスを与えられるわけではないのですが、当時の私と同じ状況にいる方に、勇気や元気そして一つの道をあげられたらなと思います。
チームプレイともなれば様々な問題が生じます。例えば絆、熱量、人間関係の問題など様々ありますよね。
その中で私が何を経験しどんな挫折をしどう克服してきたのかを私自身に日記のような形で綴っていこうと思います。
大好きな部活で成し遂げたかった夢
タイトルにもある通り私は元々部活が大好きでした。達成したかった夢というか目標もありました。そんな中でどんな夢があったのか、夢がどのように辞めたいというマインドに変わってしまったのかを話していきます。
成し遂げたかった2つの夢
私は当時部活をやっていく中で2つの夢を抱くようになりました。
1つ目は、当時バッテリーを組み仲の良かった先輩と県大会に出場するという夢、2つ目は、市の選抜代表に選ばれるという目標です。
先輩と夢見た県大会出場という夢
当時バッテリーを組んでいた仲の良い先輩がいた時代は市の中で9校中5位くらいでした。上位校と比べれば技術の差は歴然としていましたが、私は努力次第では張り合えると自負していました。
しかし結果、県大会に行けなかった理由としては、チームの士気や個々の技術そしてチームとなった時の連携プレーが私達に一番欠けていました。
社会に出て組織として成り立つ為に重要なのは個人の力が何よりも大事ではあるが、やはり人間関係の構築です。それは、部活も同じことで、皆のベクトルが同じ方向に向いていなければ熱量に差も出てくるし、皆の意向がまとまらなくなってきます。
私達はまさにその泥沼から抜け出すことができなかったのです。
そして結果成績をあげることも出来ず最後も儚く終わってしまった時、先輩と一緒に流した涙は今でも忘れられません。
市の選抜代表選手に選出されるという夢
先述でお話しした通り、先輩がいた時代は5位につけていましたが、先輩が引退してから一気に下位三位にまで下落しました。
私自身も初心者で経験者に比べれば技術もありませんでしたし経験も圧倒的に足りませんでした。
しかし、勝利できなかった一番の原因は私の孤立と部員・顧問の無責任さです。こちらは後々詳しくお話しします。
先輩が辞めてから正直ずっと部活を辞めたかったし、何時でも辞める準備は出来ていました。しかし辞められませんでした。
それは、朝早くからお弁当を作ってくれ、毎試合応援に来てくれ自分に寄り添ってくれたお母さんに自分の活躍する姿を見せたかったからです。母自身も仕事をしていて唯一の休日を返上してまで自分の為に尽くしてくれたことに対して簡単に諦めず続けることが恩返しだと思ったからです。
そこでスイッチを入れ替え、夜の自主練時間を延ばしたり、高校生との合同練習にどんなことでも参加し、バッティングセンターで2時間打ちっぱなしするなど自分に出来る事は惜しみなくしてきました。
「継続は力なり」という言葉があるようにその努力を神様は裏切ることなく、当時の私の状況や条件からすれば不可能に近い市選抜代表入りという夢を叶えさせてくれました。
私は勿論何よりもお母さんが喜んでくれたことが一番嬉しかったです。
部活で副部長に就任した時の葛藤
まだ先輩がいた時代、私は副部長として活動していしました。本来ならば先輩が引退したら自分が部長になるはずでした。
勿論先輩の意思を継がせていただきたいという思いはありましたが、私達の代にはその意思を継ぐ権利もなければ価値もありませんでした。
葛藤の中で自ら部長という役職を退任しました。退任した理由としては、自分自身がいつ部活を辞めるかわからない状況にあったからです。
部活を辞めたいと考えた原因は顧問とチームメイト
包み隠さずお話しします。今からお話しする話に何一つ嘘はないですし、話を盛っていることもありません。私がどんな経験をしたのか赤裸々にお話しします。
顧問の無責任さ
当時顧問は男と女の二名がいたのですが、若干一名は本当に呆れた大人でした。
それは女顧問の方です。当時の私のクラスの担任とでき婚をしたというものでした。
ある日から職員室にノックを始めるようお願いしに行っても姿はなく、そのまま消失したのでした。月日が経ち、教頭先生から直々に私に女顧問の方が育休に入りもう練習には来ないと告げられました。
本人からは何も聞かされず会うこともなく消えました。純粋に顧問である前に教師である人間がそのような無責任な行動を中学生の前で起こす事自体責任問題が問われるものではないでしょうか。
私はずっと教頭先生に本人が出てきて自分の口から説明するまで受け入れないと申し立てていましたが、結局何も起こることがなく、ある種学校が得意とする隠蔽というものを目の当たりにしました。
そもそもそのでき婚も初めは公に公表されていませんでした。時間が経ち暫くしてからの公表でした。その間に何が起こったのかは知りませんが、おそらく不倫でしょう。多数の生徒からの目撃情報もあったので。
そんなこんなで私達の顧問は消えました。
そして次が男の副顧問。入部式以来顔を出してこなかった副顧問は顧問がいなくなったため渋々練習に付き合わざるを得ませんでした。
しかし、副顧問もやる気がなかったので勿論指導するわけでもなく、私達にも干渉しないし、淡々とグラウンド整備をしていました。
たまに行われるノックも全部取りやすい球で、真正面で受ける打球ばかりでした。練習試合に関しても全く他校との試合も組まれず、休日は休みばかりでした。
これが現実でした。
部員の無責任さ
顧問だけであんなに大変だったのに、部員は輪をかけて酷かったです。
簡単に何が酷かったのか、それはやる気の無さです。彼女らが毎日部活に来ては口癖のように言っていたのが部活面倒くさい、帰りたいでした。
言うだけならまだしも、部活に出てきても本当にずっと喋ってるだけの日とか、そのまま帰宅したりと自由に振舞っていました。
先述に「私の孤立」と書かせて頂きましたが、正確には結果的に孤立という状況になってしまったというのが正解です。
このように書き出せばきりがないので、もう一つだけ一番腹が立ったことについて話していきます。
先ほど私は部長を退任したと話しましたが、それを引き継ぎ部長になった人が、ある日の練習試合でとった行動です。今でも鮮明に覚えています。
先に状況把握のためお伝えしておくと、その日、その部長の親も試合を見に来ており、その部長のポジションはサードです。
当時ピッチャーをやっていた私は、プレイボールがかかりセットポジションに入っていました。何となく違和感を覚え、サードの姿が自分の視野にいないことに気づきました。
しかし、投げ始めてしまっていた為、止まることも出来ず、投球時サードを見ると試合中にも関わらず、しゃがみ込み地面にお絵描きをしていました。
当然バッターはそこを狙い打ってくるわけですが、打球が飛んできてもスルーし、それを見てその保護者がまた爆笑しているのでした。開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのだと思いました。本当に呆れました。
このような出来事が多発していたので、相談するはけ口の無かった私にとっては、それがどんどんストレスになっていきました。
大好きだった部活がストレスと化していった
ここまで見ていただいたら言わずとも何がストレスだったかお分かりいただけるとは思いますが、本当に大好きだった部活がストレスになり嫌いになっていきました。
チームメイトと自分の部活に対する温度差
先述をみて頂ければお分かりいただけると思いますが、私はソフトボールに全力投球でやるからには強くなりたい、皆で頂点を目指したい、どちらかと言えば情熱的な暑苦しいタイプでした。
一方で部員は決して希望して、好きだからソフトボール部に入ったわけではなく、ただ通知表の内申点をあげるための入部でしかなく、事実上部活には参加せず名前だけを残している状態でした。
その温度差はどうしても埋める事は出来ず三年間の部活人生をあえなく終えてしまいました。
部活が楽しくなくなってしまった無数の原因ときっかけ
部活が楽しくなくなった一番の原因は、夢を見ることが馬鹿らしく感じたからです。
原因やきっかけはいくつもありますし、上記でお伝えした通りです。
しかし、振り返ってみると、ネガティブになるたびに同じモチベーションの他校の人や私と関わってくれた人が周りで支えてくれていました。
自分から相談はできなくても周りに気付いてくれてた方達がいてくれたおかげでどんなに辛くても、皆が頑張ってると思えば自分も自然と頑張れました。
そして、誰かが必ず評価してくれています。私が市選抜代表に選ばれたように。
そして、最後の夏の大会を終えたその日、高校の監督に声をかけられたのをきっかけに高校進学後もまだソフトボールを続けることを決意しました。
ストレスが辞めたいに変わった日
しかし、本当の地獄はここからでした。結論から言うと私は高校では一年間とちょっとしかソフトボール部に所属していませんでした。
ここでは更なる悪夢の始まりでした。
顧問に対する信頼がなくなった瞬間
高校の顧問は本当に性格が曲がっていました。このご時世まだ体罰をやっていましたし、だれに対しても平気で罵声を飛ばしていました。理不尽に。
私は特に標的みたいでした。
当時、キャッチャーをやっていたのですが、外野が取れなかったフライがキャッチャーである私のせいだったりとか、親が試合見に来てくれていたのでそのまま一緒に帰ろうとしたら私だけ電車で帰らされたり(その他親が応援に来てくれている部員は親の車に乗って帰りました)何かと追い詰められていました。
そこから親に対する侮辱も始まり、ここが決め手となり何の躊躇もなく退部を決意しました。
しかし退部まで4,5か月かかりました。理由は簡単です。単純に辞めさせてくれなかったからです。もう一名私と同時に辞める子がいましたがその子は担任に退部届を貰い、担任に提出し一日で退部手続きが終わりました。
私は、担任から退部届を貰えませんでした。私達の高校では原則的に、担任の管理下で全てが支配されているので勉強のことも部活のことも全て担任を通じて行われるものでした。
しかし、担任が顧問と仲が良かったからか何か手回しをされていたかで担任も共犯で退部届をくれませんでした。その間、侮辱され続け、有ること無いこと言われ続けたので届を出していませんが部活に参加しないという強硬手段を取りました。
誰にも言ってきませんでしたが、これが原因でパニック障害になり電車での通勤がままならず倒れそうになったりしていました。
自分を認めてもらい信じてついてきたからこそそのショックが大きく、ダメージが大きかったです。
部活で学んだ事の数々
ここまでネガティブな話しかお伝えしませんでしたが、実際学びも多かったです。というより反面教師ですね。
その経験が今に活きてることもあるので当時のことは今では笑って話せるくらいにまでなりました。
部活で培った忍耐力と行動力
お伝えした通りこの部活生活は山あり谷ありでした。しかしこの状況の中4年間続けてきた事やその過程の中で私自身がとった行動、決断力には自信をつけることができました。
さいご
経験や、その経験に対する考え方は十人十色です。私がこの経験をし、下してきた判断に正しい正しくないはありません。
しかし、一つだけ言えるのが後悔しない選択をするのが重要ということです。つまり、「本質を見極める」のが重要ということです。
ですので、自分に自信を持って自分を信じて前向きに頑張りましょう。
コメント